人類の思い込み

「信じる」という心の活動のきっかけには、何かしら疑いがあると思うんですね。

 

信頼っていうのは、「そのままでいい」という理解。

何も変える必要はないし、どこにも間違いなど無いという、

心が止まって、開かれた状態です。

 

でも私たちは生まれつきだったり成長過程で、

たくさんの「疑い」をリレーのようにバトンされていて、

そうして渡された概念を信じるというプロセスを経ます。

これがなにか、神のゲームなんでしょうね。

 

この「疑い」、どこかに問題がある、悪いことがあるという信念が、まさに無知です。

そしてこの無知を握りしめたまま、問題だらけの今がもっと良くなるようにと、

新しい信念を信じようと頑張るっていうことが、いたるところで起こっているように見えます。

無知は新たな信念を「私」に付け加え、さらなる重荷を背負って、

より多くなったジャッジに束縛されます。

今が不十分だと信じているから、また「信じる」っていう努力をしないといけない。

 

でも本当に見られるべきものは、そのような新たな信念が必要だと思わせる、

無知の方です。

こちらが晴らされなければいけません。

疑いの方をこそ、疑ってみてほしいのですね。

 

今回はこの、今に満足できないざわざわの原因となっている想念を、

いくつか一緒に見ていただけたら・・・と思います。

 

 

想念その① 「足りない」

 

めちゃくちゃ足りています。

めちゃくちゃ大丈夫です。

「足りない、足りない!」って思いがちな心の癖のせいで、ほんと止まれないんですね。

「足りない」という考えが頭の中に無ければ、今という瞬間をどんな風に感じるでしょう?

多くの人が振り回されているこの「足りない」って、ただただ考えなんですよ。

もしもいつも十分足りているのだとしたら、やめれる努力がたくさんあると思います。

できないと決めつけていたけど、あっけなくできることもいくらでもあるでしょう。

満ち足りた「今」から、世界を見はじめるのです。

 

 

想念その② 「問題がある」

 

ノープロブレムです。

びっくりするぐらい問題ありません。

とりわけ「私には何か問題がある」と、もれなくほとんどの方が信じていることでしょう。

その「問題がある」という声だけが問題です。

無いものが有るように見える不思議。

しかし「私が正しい」わけでもありません。

あなたのどこにも問題が無いように、誰にも問題なんて無いのです。

この「問題がある」という声を信じることが無くなってくると、

どんな人が問題をささやいてこようとも、惑わされることが無くなります。

BGMのごとく、爽やかにノリノリで聞き流すことができるでしょう。

 

 

想念その③ 「私がやっている」

 

これまでの人生を正直に振り返って、

自分が自分の人生をコントロールできてきたと言えるでしょうか?

自分のことは棚に上げ、心は「他人は自分をコントロールすべき!」と訴えます。

自分にはそれが全く不可能だということが受け入れられたとき、

周りの人もみんな、いつだってそうするしかなかったんだということがわかって、

絶大な許しが起こります。

もしもその体が自分なら、自分の意思で心臓を鼓動させているのでしょうか?

右足を出した後は左足を出して・・・なんて、いちいち考えて歩いているでしょうか?

体は勝手に動いています。

すべての出来事はあなたの力を超えて、ただ起きています。

あらゆるものに行き渡るエネルギーである神が、あなたのことも動かしています。

あなたがやっていることは、何ひとつありません。

ただ神が踊っているんですね。

これはなんだかがっかりなことかもしれないけど、責任という荷物をごっそり降ろせる事実でもあります。

 

真の信仰心ていうのは、たくさんの知識があるとかよりも、

今を信頼している心のことだと思うのですね。

今を信頼し、今と共に在り始めたとき何が起こるか、

ぜひ見てほしいなぁと思います。

 

 

この投稿へのコメント

  1. katsu said on 2017年6月13日 at 8:03 PM

    りんごちゃん、
    さっそくの返信、有難うございます。
    そうでした、「私」が探求をしているのではなかったですね。
    まだ自分で何かをしようとしていました。
    何も変える必要が無いんですもね。
    少し気持ちが楽になりました。
    有難うございました。

    • りんご said on 2017年6月13日 at 11:13 PM

      とんでもないです〜。
      これは、良いとか悪いとかではないのですが、無駄になるのが怖いっていうのは、誰でも、自我の特徴だと思います。
      未来の結果を気にしないとき、今、自由なんですよ。
      そもそも束縛も間違いもありません。

  2. katsu said on 2017年6月13日 at 4:17 PM

    りんごちゃん、初めまして。
    地球さんの動画を見て、こちらのブログに来ました。色々な経験をされながらも、明るい雰囲気が漂う姿がとてもいい感じですね。
    私は、2年程前にノンデュアリティのメッセージに出会い、以来探求真っ最中の者です。「探求は無駄ですよ」というメッセージを見聞きするのですが、なかなかやめられません(笑)
    ところで、このブログの概念その3で、「すべての出来事はあなたの力を超えて、ただ起きています。」と書かれていますが、そのような中で、「今を信頼し、今と共に在り始める」ためには具体的に
    どのようにすればよいのでしょうか?
    迷える探求者の質問なのですが・・・

    • りんご said on 2017年6月13日 at 5:21 PM

      katsuさん、初めまして。
      katsuさんが探求してるんじゃないんですよ。
      今、探求が起こってるなら、探求を楽しめばいいじゃないですか ^ ^

  3. 東京日和 said on 2017年6月11日 at 6:50 PM

    え~、りんごちゃん、そうなん?
    なんや一緒やん、メッチャ嬉しいわ~(実家兵庫なんです 笑)

    それを聞いて気が楽になりました~。
    そんでね、ほんの1時間ほど前ですけど晩御飯つくりながら内側のもやもや感を
    感じてたらちょっとした事が起こりました。
    一瞥体験とか覚醒とかおおげさなもんじゃないけど、こころがほっと安心するようなこ感じで。

    これ続くのかな?わからないので又しばらく様子みて報告させて頂きますね。
    何か私物化してますね、ごめんなさい!

    • りんご said on 2017年6月11日 at 11:04 PM

      そうなんですか〜!私も兵庫の出身です ^ ^
      おぉ〜、すばらしい。
      そうなんです。そうやって感情は、避けなければ、ただ現れて消えます。
      またしつこく出てきます。
      でもまた、避けなければ現れて消えます。
      東京日和さんは今、ずっと蛇だと思って怖がっていたものが、よく見るとただのロープだったと見破りはじめておられます。
      もう怖がらなくてもいいし、逃げなくても大丈夫です。
      私物化(笑)大歓迎です。また報告お待ちしてますね。

  4. 東京日和 said on 2017年6月11日 at 10:48 AM

    りんごちゃん、こんにちは。
    先週「足りないという考えがキリのない欠乏感の原因」というコメントを貰い、
    まさに私の中心的な世界観だなと感じました。
    物質的な足りないは、かなり感じなくはなって来ました。
    だって、変でしょう?
    太る心配をして食べないようにしながら、足りないって・・(笑)
    蛇口をひねるだけで、お水だけでなくお湯もでる、スイッチひとつで灯りがつき涼しくも
    暖かくもなる。まるで魔法です。

    私の欠乏感の最も強いのは、私の能力が足りないです。
    意志が弱い、努力が足りない、ひいては今を感じる力?が足りない。
    その足りないを強化するのは、人との比較です。
    私と違ってあの人出来ている、りんごちゃんはわかっている。

    でも私がやっていないなら、比較することも意味がないのかな。
    実は私がやっているとしか思えないんだけど。
    やっぱり理解が足りないなぁ、あれ?

    • りんご said on 2017年6月11日 at 5:00 PM

      あはは!
      わかります〜!
      私も東京日和さんと同じ、能力が足りないって、すごく思っていました。
      今も比較が出てくるときもたくさんあるし、私がやっているという感覚も起きてきますよ。
      なのでりんごちゃんも、なんもわかっとりませんわ(笑)
      でも、そのことを気にしてないというか。
      ただ比較が起きているということに気づいている、それは今までとは大きな違いなんですよね。
      責めるでもなく、放って、眺めている。
      比較からはじき出された演算の答えを、全然信じてないです ^ ^

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