嫌いを拾うってどういうこと? ①

私が発している、この「嫌いを拾ってみる」というメッセージは、

言葉だけ聞くと、すごい嫌な感じだと思うのですが・・・、

実はそんなに厳しいことでもないんです。

決して、無理に苦しいこと、苦行をしましょうとかではありませんのでね。

本当に、こんなブログ読むより(笑)、

ご自身のハートの感覚をどうぞ大切になさってください。

 

これはね、「恐れを晴らす」ということです。

そして、なんといっても私にとって一番怖かった「嫌いなこと」「避けていたこと」は、

幸せになることでした。

今、「自分がどれほど幸せであってもいい」と許可すること。

今、開いておくこと。

今、自分をゆるすこと。

人生の中で、不幸な感じ、しんどい感じが長い人は、

おそらく大きな罪悪感をどこかで持っていて、

本当に幸せであることをゆるすという在り方はまるで未知の世界で、

とっても怖いのではないでしょうか。

そして当然、そのプロセスの中で、アクが出ていくというか、

避けては通れない痛みも通るでしょう。

 

損しようの会でね、行為と無為のお話をさせていただきましたが、

この「無為」という在り方、

もし、未来に特定の結果が出ることをねらわなければ、心配や作為を捨てたなら、

一体、生きるってどんな感じになるでしょうか。

もしかしたら、不安を動機に、隙間を埋めるようにやっていたアレコレの中で、

止めれることも結構あったりするかもしれません。

そしたら意外と、時間がたっぷり現れたりして。

 

人間は体が自分だと信じ、自分の見ている世界が揺るぎのない現実だと信じているから、

一番根底の思い込みがもう勘違いしてるんですね。

その上でいろいろと湧いてくる「考え」は、まるであなたではありません。

 

世界は幻想に他なりませんが、それでもその体験の中で、

「悪い想念」が「良い想念」に変わっていくことでどれほど体験が変化するか、

相手や世界が悪かったのではなく、

いかに自分が信じていることにただ影響を受けていたかを理解するプロセスは、

マインドの成熟といわれるものです。

 

やりたいことをやることをゆるし、自分をいじめるようにやっている、

やりたくないことを止める。

これはこれで、まさにそうだと思いますし、

それで収入が増えたり、人間関係が改善されたりというケースも、

たくさん耳にします。

私も思いっきりこれを実験した時期があって、そういう体験も何度もしました。

自分の想念が和らぐと波動が変わりますので、当然いろんなことが変わるでしょう。

 

それでも私を本当に自由にしてくれたのは、ニサルガダッタ・マハラジのこの言葉でした。

「状況の必要性にしたがい、

その瞬間の必要性を満たすことのできる自由があるということのなかに彼の自由がある。

好きなことをする自由とは実は束縛であり、正しいこと、するべきことをする自由のあることが

真の自由だ。」

 

またバシャールも、豊かさの定義として、You tubeの動画の中で、こんなことを話していますね。

「豊かさとは。

する必要のあることを、する必要のあるときにできる能力。」

 

もうひとつ、パパジのこの言葉も深く入ってきたものです。

「自由が手に入るのはこの惑星だけだ。

もし自由を求めるなら、神をも含めた誰もがここに来なければならない。

神でさえもここに来なければならないのだ。

自由が起こるのはこの地球だけだ。

他の場所はすべて快楽と苦痛のために存在している。

最終的には、誰もがここに来なければならない。」

 

私は一時期、徹底的に心の中で考えをひっくり返す、

「ダメだ」と湧いてくる考えを、

「それでもいい」にひっくり返すということを日常の中でやっていたんですね。

やりたいと思うことも、遠慮なくバンバンやっていきました。

そうするとぐんぐん見える世界が変わっていきました。

 

それでもなんとも言えない苦しい感じが、

状況とは関係なく、上がってくるときには上がってくる。

これは、やりたいことをやる、やらないではないんじゃないか・・・と感じて。

もっとよく観察してみたら、ひっくり返す中心に「私」がある。

「私」にとって良いことをねらってしまう感覚が、苦しみの原因なんだ・・・と感じました。

やりたい、やりたくないと騒いでいる心が、もっと良い現実を生み出そうとする欲望が、

とても大きな苦しみなんだって。

 

でも、そのプロセスのすべてが必要だったと思いますし、

これまでのすべてに感謝しています。

それに、過去や未来はないとはいえ、日々この瞬間が、

やはり自分を超えていく、源へ帰るプロセスと感じています。

 

さてさて、長くなりましたので、この辺で。

次回、どんな感じで「嫌いを拾う」が起きて行ったのか、

もう少し具体的にお話させていただけたらと思います。

 

 

この投稿へのコメント

  1. 森 雅美 said on 2017年7月16日 at 11:22 AM

    こんにちは!
    私は、正社員が嫌いな物だったので、ただ今拾っている最中です。
    毎日、凄く忙しくてあっという間に1日が終わっています。
    慣れない毎日で、覚える事も沢山あって、おまけに腰痛にもなってヒーヒー言ってるのに、何故か自分の中心みたいな所は全く静かな事に気付きました。
    そして、腰痛も結構痛かったのでこのまま痛くて仕事行けなかったらどうしようと不安になりましたが、困った事が起こったら何かいい事が起こってると思って見たらいいと聞いた事があったので、あぁー腰が痛い!どんないい事が起こるんだろうと楽しみにして、湿布を貼ったり安静にしたりしてたら、1日で殆ど治ってしまいました。
    まるで、昨日の自分と今日の自分の次元が変わってしまったようでビックリしました(^^)

    長々と長文失礼致しま(‘👅’)
    りんごちゃんにシェア出来て嬉しいです😝💕⤴⤴ まさみ

    • りんご said on 2017年7月16日 at 11:52 AM

      まさみさん、こんにちは ^ ^
      お仕事決まられたんですね。
      シェアしていただいて、ありがとうございます!
      へぇ〜、すごいです〜。
      個人的に見たら、きついなぁ、災難やなぁみたいな時ほど、
      実はすごく変容のギフトだったりするなぁって、私も感じています。
      「正社員だったら、責任が重くて縛られる」みたいな考えを信じていたら、
      そのような世界を見るだけかもしれませんね。
      いつもいつも、ただ最善のことが起きてるんですね。

  2. 東京日和 said on 2017年7月16日 at 12:35 AM

    りんごちゃん、お返事ありがとうございます。
    りんごちゃんも毎日コツコツ修練されてたんですね(笑)
    さっそくフルフィラメント瞑想で検索してみましたが、何か専門的指導を受けるような
    感じで難しそうですね。
    日常、ハートを意識するように心がけていますが、損する会でやった瞑想がすごく良かったので
    困ったときには時間をとってやったりしてます。
    それを毎日習慣としてやってみようかと思いますが、ちゃんとした瞑想法を学習した方がよ
    いでしょうか。

    • りんご said on 2017年7月16日 at 11:11 AM

      オシャレより修練、みたいな女子でした(笑)
      いえいえ、特に専門的な何かを得ないといけないわけではないですから・・・。
      ご興味がなければ、全然学習される必要ありません ^ ^
      損する会でした、ハートに「私は誰か?」と問う瞑想は、ラマナ・マハルシが教えているものですが、
      私は散々色んなことをやった挙句あれに触れ、最も真をついてると感じました。
      こんなにシンプルでよかったんだと。
      いつでもどこでもできますしね。
      でも何もしなくても、何をやっても、東京日和さんには、すでになんの過不足もないんですよ。

  3. 東京日和 said on 2017年7月15日 at 8:54 PM

    りんごちゃん、こんばんは。
    「目の前の人が幸せでありますように」は今「目の前の人がどこまでもどこまでも幸せでありますように」に変形しつつ唱えています。
    個人的な好き嫌いの手前に肯定感がくる感じで、心が軽くなりました。

    今日はお休みだったので、部屋の掃除をしつつ資格試験の教材をひもでくくり捨てようと
    片づけました。
    この3年やってきたので、今年も2科目ほど受けておこうかなと思っていたのですが中途半端な
    不安感の穴埋めでしかない気がしてやめました。
    以前経済セミナーを受けた時に、女性講師が「女性はすぐにスピリチュアルに逃避する」ということを言われたのを思い出しました。
    そういっている自分がいる一方、深い所からは真我に繋がらなければ何をなしても意味がないと
    いう思いが湧いてきます。
    鏡に映った自分にどこまでも幸せであるようにと言えても、すぐそうはいかないよという疑い
    が浮かんでしまいます。
    りんごちゃんはどうやって自分に幸せになることを許可できたのでしょうか。

    • りんご said on 2017年7月15日 at 11:32 PM

      わぁ、バージョンアップしておられる!
      「無理してたことをやめる」っていうのも、結構怖いことだったりしますよね。
      女性講師(笑)!
      確かに、スピリチュアルが現実逃避の矛先になってるケースは多い気がしますねぇ。
      本当に真我探求と真摯に向き合ったら、これほど現実の中に入っていける助けもないと思うのですが。
      もうすでにみんな、真我そのものなんですよね。

      「幸せであるのが、簡単ではない」みたいな考えは、もちろん嘘っぱちですが、
      でも一方ではやっぱり、焦らず、急がず・・・でしょうか。
      幸福感って、状況とは関係ありませんから、今すでに幸せだと気づくだけ、抵抗が晴れるだけなので・・・。

      何かをしないといけないことはないんですが、
      私にとってはフルフィルメント瞑想はとても効果的でした。
      ハート・マントラを1年ぐらい、毎朝30分やってたんですね。
      私はあれで、かなり体に溜まっていた感情や緊張がほぐれた気がします。
      色んなマントラがたくさんありますが、ハート・マントラだけで十分だと思っていますけど。

  4. 奈良猫 said on 2017年7月15日 at 5:01 PM

    りんごちゃん、お返事ありがとうございます!

    私はストイックなところがあるのですが、
    嫌いを拾うことに意識をすると、一気に目の前に「嫌だったこと」があらわれました(;o;)

    ただ終わるのも早くて、
    今は、ひと段落して、もう違う方向に意識が向いています(笑)

    少しリラックスしていきたいと思います。

    色々と、ありがとうございました^^

    • りんご said on 2017年7月15日 at 5:07 PM

      そうでしたか〜。
      私も超ストイックです(笑)
      フォーカスしたものが目につきますもんね。
      こちらこそ、失礼いたしましたm(_ _)m

  5. 奈良猫 said on 2017年7月15日 at 12:27 AM

    りんごちゃん、こんばんは^^

    今、ふと気付きがおきて、コメントしたくなりました☆

    今、「嫌いを拾うとどうなるのか?」を実験中なのですが、拾い上げてみると、たいして嫌いじゃなかったんや…と、すぐに思えるものと。

    拾ってみても、恐れが出てきて、なかなか前に進めないものもある。

    感情は荒れに荒れて、体調不良になって表れたり…
    で、結果「恐れが晴れる」と「今までのは何だったんだ!」と、自分自身がおかしくてしょうがなかったり(笑)

    あとは、拾ってみても「これは絶対に嫌なんじゃ〜!」と思うものがあったんですが、
    これに対しては「嫌なのに、嫌と言えない自分」を発見し、「これは、嫌だからやらない!」と、言えなかった自分を認めると恐れが晴れました。

    「こんなに嫌やったのに、頑張ってきたんだね!」
    「よく、隠された感情に気付けたね!」
    「嫌な事を、嫌だと言えて、やらないと決断できたね!」と、自分自身を褒めちぎってあげたい^^

    恐れが晴れると、「絶対に嫌だった事」の重要性がなくなり、今はやらないけれど、またやりたくなったらやるし、すぐに嫌になったらやめるし…という「まぁ、どっちでもいいかっ!」っていうスタンスになりました。

    りんごちゃんの言う「嫌いを拾っていく」って、
    「嫌い」を「好き」に変える作業でもなく、
    「恐れを晴らす」んだっていう事が腑に落ちました。

    日々の気付きや自分自身を知る作業って楽しい!

    今日も、嫌なことを拾っていく過程で、体調不良になり大変だったのですが、
    これも、自然と起きた事で、
    起こることの全ては、大いなる源からの愛を受け取っているんだなぁと感じました。

    コメント書いていたら、次の日になってる…
    遅くにすみません。

    今夜は星達が、とても綺麗です!
    おやすみなさい^^☆

    • りんご said on 2017年7月15日 at 4:22 PM

      奈良猫さ〜ん、どうぞご無理をなさらず!
      「嫌いを拾うぞ!」と意気込んでおられるように感じますので。
      それもまた良しなのですが・・・。
      無理に仕掛けていかなくても、ここにいるだけで、嫌いを拾うしかないことが出てくると思いますので。
      そのとき、ふと気が向かれたら、気軽に拾ってみてください。
      リラックスして、シンプルでいいんですよ〜 ^ ^

  6. 奈良猫 said on 2017年7月13日 at 10:11 PM

    りんごちゃん、こんばんは^^

    お返事ありがとうございます!

    さっき、近所のお散歩に行ってきたんです。

    ゴミが気になったので、お散歩しながらゴミ拾いをしてみたのですが、嫌だったゴミ拾いが、宝探しゲームみたいになってました(笑)

    ゴミなのに、宝ものを見つけたような感覚(笑)
    嫌いが好きに変わりました。

    人間の思い込みって、かなりいいかげんなんだなぁ〜(笑)

    お散歩中、目にするもの全てに「これでいい」と思いながら歩いていたんですが、いつの間にか「これでいい」穏やかな世界しかなかったです。

    そして、「早く悟りたい!」という想いがあったのに、嫌いを拾う作業や色々な実験をして、気付きや発見があってワクワクしてくると、悟りに至るプロセスの方が面白いのではないかな?と感じ、悟りそのものは、どうでもいいような感じになってきました^^

    「悟り」という言葉が、なんだか堅苦しいのかな?

    「本来の自分自身を知りたい!」という言葉にすると、素直に道が開けてくるような感覚です。

    「これでいい」って、最高の呪文ですね〜〜!

    • りんご said on 2017年7月13日 at 10:18 PM

      奈良猫さん、こんばんは ^ ^
      あはは!すごいですね〜(笑)
      楽しい♪
      そうですよねぇ、ほんと思い込みっていいかげん!
      好きも嫌いも、ただの考え、決めつけなんですよね。
      私も奈良猫さんのコメント読んで、「悟り」って、それこそ結果への期待だなあと、今思いました(笑)
      ありがとうございます。
      もうそんなことは気にせずに、あとは起こることにお任せでいいですね〜。

  7. Pika said on 2017年7月13日 at 9:30 PM

    りんごちゃん、よいメッセージをありがとうございます。
    今日、職場でいろんな人の小さなミスが重なって、大きなクレームを受けて、みんなでげんなりしてました。
    いろんな原因があったけど、結果的には偶然が重なったような感じでした。
    クレームは、まともに受けると自分の中に拒否反応がでて、次からは絶対、完璧にやってやる、と思ってしまうのですが、毎日が完璧になるというのは難しいものです。
    仕事は、結構ハードですごく忙しいです。電話を二つ持って話してる事もしばしばです。
    綱渡りを毎日完璧にやるというのは不自然な事です。だから、本当は完璧でない毎日をどう受け止めるか?ですよね。
    失敗は誰でも起こるもの。
    私は、失敗することが、異様に嫌いなんです。ちょっと考えれば、完璧な毎日なんて無理だとわかるのに。

    • りんご said on 2017年7月13日 at 9:54 PM

      そうでしたか〜。
      ほんとに、起きることはなんでも起きてしまいますもんね。
      開き直るしかないですよね(笑)
      降参、降参!
      そうですよねぇ、完璧にしようと思うとしんどいですよね。
      電話を二つ!ひゃ〜。
      失敗っていうのも、考えですもんね。
      意外とあれはあれでよかったことにすると、よかったように見えちゃったりもしますよね。
      今日は1日、お疲れさまでした!

  8. 奈良猫 said on 2017年7月13日 at 5:57 PM

    りんごちゃん、こんにちは^^

    私も、りんごちゃんに触発されて、嫌い拾いを始めました。

    避けていたことが、実は嫌な事でもなかったりとか、
    拾ってみても、やっぱり嫌だったけど、自分の中で重要性が無くなって終わっていくものがあったりと様々です。

    あと、無為のお話に凄く惹かれていたのですが、
    未来への狙いが、本当にストレスだったんだ!って、いう気付きがありました。

    両親や愛猫の幸せを祈ったり、殺処分される犬猫がいなくなり、人も動物も幸せに暮らせるように…。など、幸せを願い、未来へのこうなるように!という期待と思考が、私の場合は、心配や不安、恐怖から来ているものだと気付きました。

    今までは、その思考と自分が同化していたので、全く気付きませんでした。

    掴んで離さなかった思考を、手放せたら肩の荷がおりました。

    未来への期待が、かなりのストレスだったんだ…。

    「無為」って、大いなる源にかしずいて生きるっていうことですよね?!

    目の前の出来事の全てを「これでいい」と見て、
    目の前に来たことを、避けずにやる。

    ただ、これだけのことなのかと思っているのですが、りんごちゃんの神にかしずいて生きるって、どんな感じですか??

    • りんご said on 2017年7月13日 at 9:36 PM

      奈良猫さん、こんばんは ^ ^
      いろんな変化が起こっておられるんですね〜!
      これが幸せ、これが不幸・・・みたいな仕分けが、なかなか窮屈にしていたりしますよね。
      そうですよね、未来への期待がストレス。
      結果を狙ったところで、思い通りにコントロールできるわけではありませんし、
      いろんな出来事、感情、起きるものは起きてきますしね。
      目の前に来たすべてのことをやらなければいけないわけではありませんから、
      必要でなければ、私はあっさりやらないですね〜。
      でも目の前に来て、すごく怖かったりしたら返ってやってみたり(笑)
      個人的には嫌いなことでも、必要だと感じることは、どうせやるなら気持ちよくやってみたり。
      こうすべき、ということではないんですよ。
      よく、悟りのことを、降参とか、諦めって言ったりするじゃないですか?
      私もまだまだ自意識ありますが、思い通りに事を進めようという執着心がしぼんでいくような感じでしょうか?
      ここで起きること、喜怒哀楽のすべてを受け入れています。

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