愛のこと

ただシンプルにここに在ると、

あまりに圧倒的な愛に打ちのめされて、

涙が止まらなくなる。

 

こんな途方もないものの前で、

私を守ることになんの意味があるだろう。

 

「私はいません。あなただけです。

あなたと一つであることだけが、私の欲望であり、喜びです。」

 

どうぞすべての存在が幸せでありますように。

 

 

 

この投稿へのコメント

  1. lizzie said on 2017年6月23日 at 1:22 PM

    苦しみも、喜びも
    「私」がある感覚も、
    コントロール欲も、
    全てワンネスの現れなのですね。

    「私」の苦しみの根幹、
    「こんな現実は嫌」という
    収縮した感覚ですら
    良いも悪いもないニュートラルな
    エネルギー。

    「起きることが起きそして消えていく」
    このことの残酷さと温かさに
    戸惑い絶望する日々です。

    • りんご said on 2017年6月23日 at 3:07 PM

      絶望するのは、「絶望だ」という考えを信じるからです。
      例えば、それがどこであれ、目の前の風景に対して、「こんな現実は嫌」という考えが止まったら、どんな風に感じるでしょう?
      悟りというのは、想念(考え)という無知からの解放なのです。
      ただ在るというシンプルな幸福感。
      「今」というあなた自身との仲直りが、どうして絶望でありえるでしょうか?
      今現れている考えのすべてを、眺め、疑わなければいけません。

  2. 東京日和 said on 2017年6月17日 at 6:03 PM

    りんごちゃん、こんにちは。
    ダイレクトで、曇りのないりんごちゃんの言葉は力強く圧倒される思いがしました。

    私は自分の中に苦しい感情が湧いてくると、それをしっかり内側で感じることで消えて
    いくようになりました。
    そして時折、理由のない至福感や穏やかであたたかな空気が世界中を包んでいるような感覚を
    味わうことがありました。
    でも、それは少しの間でいつもの感覚に戻った時、それがあまりに幸せだっただけによけい
    辛く感じてしまいます。

    先日紹介していただいた詩のなかで
    「一なるものを求めるなら、感覚や思考さえ嫌ってはならない
     感覚や思考を完全に受け入れることは
     真の悟りと同じなのだ」
    という言葉が目に留まりました。

    幸福感を期待して、心地の悪い感情や思考を嫌っていたのかなと思います。
    今ある内側のすべてを見つめて感じていけば、自ずと知るべきを知り
    するべきをする、それでいい。
    ただそれだけのとてもシンプルなことなのかなと感じました。

    • りんご said on 2017年6月18日 at 1:14 AM

      東京日和さん、こんばんは ^ ^
      そうです、そのとおりです。
      とてもとてもシンプルです。
      どうぞその振り子をゆるしてください。
      あるがままに。
      そしてそれを眺めている、ただ「在る」という意識にできるだけとどまってください。
      夢を夢と知って、夢を楽しむのです。

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